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相談員から一言

相談員から一言

情報化社会の人間関係とメンタルヘルス -コンピュータ技術者の生きる世界-

1 はじめに
 本研究は,情報化社会に生きる我々現代人の人間関係の病理現象を,現象学を方法論的基礎とする臨床社会心理学1)の立場から明らかにすると共に,人々のメンタルヘルスを保持していくための対応策を検討することを目的としている。
 近年の職場や家庭における情報化,コンピュータ化の進展は目覚ましいものがある。職場にはOA機器があふれ,家庭にもテレビゲーム,パソコン,ワープロなどが日用品のごとく普及してきており,人々は否応なしにこれらと共存せざるをえない。コンピュータや電子機器の普及により,我々の生活が便利で快適なものになってゆくのは大変望ましいことではあるが,その一方でそれに関わる人々の心身の健康や人間性を損なう恐れがあることも忘れてはなるまい。
 筆者はこれまで,コンピュータ労働に関わる人々のテクノストレス,青少年のテレビゲームなどへの没入化傾向などの研究課題と取り組んできたが,その過程で,それらの社会問題の背景として,我々現代人が対人関係の希薄化,孤立化,生きがいの喪失,他者への思いやりや深い情緒的体験の欠如など人間存在の根本をゆるがす問題に直面していることが明らかとなった(小川,1988,1990a,1990b,1991年)。そこで,本研究はそれらの成果を踏まえ,情報化社会に生きる人々の職場,学校,家庭などにおける人間関係の病理現象や,その人の生きる世界の現実を,コンピュータ技術者やコンピュータの利用者らへのインタビュー調査により明らかにすると共に,その結果を手がかりに人間性の回復やメンタルヘルスの向上を図るための方策を検討することが中心課題である。
 
 2 方法論的検討
 問題の検討に当たり事前に若干の方法論的吟味を行っておきたい。本問題に取り組むに当たっては,従来の臨床心理学,社会心理学,精神医学などの個々の分野の既存のアプローチでは対処し難い面がある。情報化社会に生きる人々の心の健康問題の代表的調査研究として,米国の臨床心理学者クレイグ・ブロードのテクノストレス研究などがあげられるが,本研究を進めるに当たって,あらかじめ方法論的な検討を行っておく必要があろう。
 ブロードは,その著書『テクノストレス』(1984年)の中で,情報化社会に生きる人々のテレビゲームやコンピュータの世界へののめり込みを「テクノ依存症」と呼んで注目を集めた。確かにブロードの所論は問題提起としては卓見であり,表面的な現象(フェノタイプ2) )としては明快にとらえてはいるか,問題の背景(ゲノタイプ2) )に関する検討,すなわち人間存在にとってのこの現象のもつ意味の方法論的な吟味には至っていないように思われる。例えば,テレビゲームにたまたまのめり込んだ人(ブロードはテクノ依存症の一言でかたづけてしまうが)の社会的背景には,その人の生きる職場,学校,家庭などにおける人間関係の病理,意欲喪失や,出社拒否,登校拒否などの社会的不適応,神経症,精神病などのさまざまな病理が考えられる。それらの背景が十分吟味されないまま,表面的な現象だけをとらえてテクノロジー(コンピュータ)への過剰適応とするのは,あまりにも短絡的な印象を禁じ得ない。表面的な現象だけではなく,職場,学校,家庭などその人の生きる世界や社会的背景も十分吟味していく必要があろう。
 そこで,本研究では,情報化社会に生きる人々の人間関係やメンタルヘルスの問題に取り組むために,人々の生活世界や社会的背景を吟味可能な「現象学的アプローチ」をとることにした。臨床心理学などに見られる個体主義的な視点や社会心理学などに見られる集団主義的な視点ではなく,社会的存在である生きた人間のあり様やその病理を大間関係のなまなましい現実に根ざした臨床的な視点からとらえていくことが肝要と思われる。
 
 3 調査研究の方法と調査結果
調査研究の具体的な方法としては先にも述べたように,現象学的な臨床社会心理学の立場から面接調査(インタビュー調査)を実施した。また,調査研究の手順としては,インタビュー調査の内容と対象者の検討を行うために,まず旧知のコンピュータ関連企業に勤務するコンピュータ技術者,管理職,およびファミコンマニア(少年)とその家族にプレインタビューを行い,その結果をもとに具体的なインタビュー項目の検討を行った。その結果,1)コンピュータとの関わり,2)職場,家庭,学校における人間関係,3)日ごろ感じているストレスの程度,4)何か生きがいか,5)コンピュータ,仕事,趣味,アルコールなどへののめり込みの程度,6)生活世界(ライフスタイル),7)人生哲学,8)現在抱えている悩み,9)メンタルヘルス対策その他,などを中心にインタビューを実施することにした。調査対象者としては,コンピュータ技術者やコンピュータ利用者約10名をランダムに選定し,インタビューを実施した。その内容を整理,検討した結果はおおむね以下のとおりである。
 
 (インタビュー調査結果の概要)
今回実施したインタビュー調査の中から,ここでは典型的と思われる以下の3ケースを取り上げ検討を加えたい。
①〈Aさんのケース〉
年齢26歳。専門学校(情報処理学科)卒業後,中堅のソフトウエア会社に約6年間勤務しているプログラマー。非常に真面目でおとなしい技術者タイプだが,芯は強そう。疲れ切った表情で現在の悩みを切々と語ってくれた。
「今,心身の疲労は限界に達しています。できればいわゆる“背広を着た土方”の世界から抜け出したい。転職を考え悩んでいます」,「大きなコンピュータシステムの歯車のような気がして。仕事を覚えたてのころは,おもしろいと思ったこともあったのですが,とにかく次から次へと仕事が入ってきて,まるでプログラム作成マシンのようでたまらない。たまにはゆっくり休みたい。疲れてるから,どうしても,やっつけ仕事になってしまいます」,「その上,身を粉にして慟いても何も残らないような気がする。徒労感と疎外感がつのるばかりです」,「もっと人間的な仕事がしたいですね。だが,気がついたらコンピュータ以外のことにまったく疎い“専門バカ”になってしまっており,つぶしがきかないのが悩みです。大学受験に失敗して情報処理の専門学校に行ったのは間違いだったのかなあ。恋愛する暇も気力もないのが現状ですが,とにかく何とかしたいですね」。
Aさんは,コンピュータは仕事だから使っているのであって,本来はあまり好きでない。テレビゲームもたまにはやるがそれほど好きではないという。現在アパートに一人住まいであり,友人は専門学校のとき一緒だった男の友だちが数人程度。職場の同僚とはたまに酒を飲みに行く程度で,あまり深い付き合いはないという。アパートの住人同士もほとんど付き合いがない。もともと人との付き合いはあまり得意なほうではなく,緊張しやすいタイプであり,特に職場の上司や取引先との付き合いは苦手とのこと。出勤日は残業で遅くなることが多いので,アパートに帰っても疲れているから,ビールを飲みながらテレビかビデオを見て寝るだけの空しい生活。趣味はパチンコと競馬で休日はそのどちらかをやって気分転換をはかっているという。もし,今度転職するとしたら(何でも選べるとしたら),屋外で体を使う仕事,時間が来たらすぐ帰れる残業のない仕事がいいという。
Aさんの場合,職場や私生活における人間関係が希薄であり,また生きる世界がかなりせまいのが特徴である。仕事も私生活も単調でマンネリ化しており,生きがいを感じることができない。さりとていつも仕事で疲れきっており,「何とかしたい」といいながら何をして良いか分からない,何をしたいのかが分からないというのが一番の悩みなのであろう。まさに,苛酷なコンピュータ労働の真っ只中で,疎外感や徒労感を感じながら実存的フラストレーション(Frankl, V.E.,1955)に陥っているのであろう。Aさんにとっては,自身の生き方を問い直し,職場の仲間や友人などとの人間関係の回復と生活世界の変化をめざすことがまず必要であり,そうした他者との関わりの中で生きがいを感じられるような仕事や社会的活動を見いだすことが大切であろう。
②〈Bさんのケース〉
年齢40歳。大学(理工学部)卒業後,大手コンピュータメーカーに勤務。銀行業務のシステム開発に従事しているシステムエンジニア。中間管理職でもある。
典型的な仕事中毒の「会社人間」であり,またコンピュータとの関係のように他者と関わってしまう,筆者の命名するところの「コンピュータ人間」(小川,1988年)ともいえよう。残業も多く(月間100時間程度),家にも仕事を持ち帰ってパソコンに向かうことも多かった。休みの日も,家で自室にこもり仕事をすることが多かった。2年前,中学2年の長男が登校拒否になり,これまでの生活を問い直さざるを得なくなったという。Bさんは当時をふりかえって,次のように語った。
「それまで,仕事に追われ,妻や子どもとゆっくり話をする時間がほとんどありませんでした。子どもの教育は妻任せでしたので,息子が学校へ行かなくなった時はびっくりしました。当時は何も分からずに,息子や妻を責め喧嘩もしましたし,自分自身も随分悩みました」,「それ以来家族と一緒に過ごす時間を確保できるよう心がけています。これまで,がむしゃらにやってきた仕事は自分にとってどういう意味があったのか,何のために慟くのかということを問い直さざるをえなくなりました。職場では,同僚がどんどん系列会社に出向,転属させられ,明日は我身といったところですし,終身雇用制が崩壊しつつある今,これから先どのように生きていったら良いか悩んでいます」。
Bさんの場合,コンピュータは三度の飯より好きなほうであろう。「コンピュータはおもしろい。思いどおりに動かせるし,曖昧さがないのがいい」という言葉がそれを物語っている。読む雑誌もコンピュータ関係が多いし,家でも趣味でパソコンなどをやっているという。職場ではその実力が認められ,一応やり手の課長で通ってはいるか,「若い社員の気持ちが分からない」と,部下とのコミュニケーションギャップで悩んでいるとのこと。仕事が忙しいので会社の仲間と酒を飲みに行く機会も少ないようだ。家族との関わりも息子が登校拒否になるまでは希薄だった。家には寝に帰るような生活だったし,仕事を持ち帰ることも多かった。1年に数回,思い出したように外食をするなどの家庭サービスが精一杯だった。息子ともあまり遊べなかったし,妻ともまともな会話は交わさなかったという。Bさんの妻は「仕事が忙しいと,気難しい顔をしているし,たまに暇だとかえって機嫌が悪いしどうしようもない。時々コンピュータと話しているような感じがした」とさじをなげていたという。趣味はパソコンとオーディオで,休みの日も自室で仕事か音楽を聴くか,出かけても秋葉原などのパソコン,オーディオ店などをぶらつく程度であったとのこと。
Bさんは息子が登校拒否になるまでは,自分自身の生活や生き方に何の疑問も感じず,ただがむしゃらに働いていたが,自分自身を仕事中毒の「会社人間」だとは思わなかったと語っている。これまで,社会学や社会心理学の分野では,こうしたBさんのようなケースを疎外という概念で論じてきた。だが,疎外という概念だけで説明してしまうと,Bさんの家族の悩みや,思いが捨象されてしまう可能性がある。また一般に,真に疎外された精神病患者に病識がないように,「会社人間」本人が自分自身の異常性に気付かない場合が多い。Bさんの場合,登校拒否をした息子に「遊んで欲しい時にちっとも遊んでくれなかった」と言われたり,妻に「話を聴いて欲しい時に聴いてくれなかったし,家にいて欲しい時,いてくれなかった」と言われ愕然とし,その時はじめて自分は仕事中毒の「会社人間」だったことに気付いたという。Bさんはこれまで大企業の優秀なエリート社員として何の疑いもなく仕事一筋の人生を生きてきたわけであるが,息子の登校拒否を契機にそうした生き方を問い直さざるを得なくなったのであろう。
現象学的に言えば,それまでのBさんは,コンピュータビジネスの世界に生きていたのであり,Bさんの家庭には父親が不在であったのである。Bさんにとって家は寝に帰る場所であり,労働力再生産の場であったにすぎず,また家族にとってはBさんが家計を支える給料運搬人以上の存在ではなかったのである。そうしたBさんが,息子の登校拒否をきっかけとして,自身のあり方を問い直し,家族との関わりを回復させつつある今は,“父親不在”であったBさんの家庭に父親が戻ってきたのであり,Bさんは「会社人間」ではなくなったのである。またBさんはただの「会社人間」ではなく,Bさんの妻が語っていたようにコンピュータビジネスの世界にどっぶりと漬かった,コンピュータ中毒の「コンピュータ人間」でもあったのであるが,「会社人間」でなくなったと同時に「コンピュータ人間」でもなくなったといえよう。このように「会社人間」や「コンピュータ人間」を脱するためには,その人の生き方や人間関係を問い直すことができるような何らかの契機が必要である。筆者も関わっているIPR(対人関係)トレイニング3)などは,参加者にそうした機会を提供する試みであり,情報化社会に生きる人々が豊かな人間関係を育みメンタルヘルスの向上を図っていくためには,そうしたアプローチを広く啓蒙していくことが肝要であろう。
③〈Cさんのケース〉
年齢48歳。大学(経済学部)卒業後,大手コンピュータメーカーに15年ほど勤務した後,約5年間のソフトウエア会社勤務を経て,現在仲間と創設したソフトウエアハウス(社員約100名)を共同で経営している。現役のシステムエンジニアでもある。
不況の中で堅実な会社経営に日々努力しているCさんの話を聴いた時,健康的で誠実な人柄と,ソフトウエアハウス経営者としての資質が感じられた。タテマエではなくホンネで生きているCさんの話は歯切れがいい。
「この仕事はやはり好きじゃないとできないですよ」,「お客さんから仕事を依頼された時,努力すればできる仕事はできる,逆立ちしてもできない仕事はできないとはっきり意思表示することにしています」,「最近の若い社員は人とコミュニケーションがとれない,客と話ができない,従ってお客さんのニーズが把握できないというのが悩みの一つです。その結果いい仕事,いいサービスができない,お客さんが喜んでくれなければ,この仕事をしてよかったという実感,やり甲斐,達成感なども感じられない。したがって仕事の面白さが分からないので,言われたことしかやらなかったり,面白くないからやめたいというふうになってしまいがちなんです」,「コンピュータは魔物ですよ。コンピュータには感情がないから。仕事というのはある程度気分でするもの,人は気持ちで動くところがある。部下の気持ちが分からなければプロジェクト管理ができるわけないし,お客さんの気持ちが分がらなければいい仕事ができるわけない」,システムエンジニアの資質として,コンピュータ技術だけでなく対人コミュニケーション能力も重要ですね」。
Cさんの場合,コンピュータそのものを使うのが好きというよりは,システム設計やソフト開発の仕事が面白くてここまでやってきたという。仲間とソフトウエアハウスを設立したのはそうした気持ちの具現化である。職場では人付き合いが良く,顧客や社員と酒を飲んでとことん語り合うタイプである。家には仕事を極力もち帰らない主義であり,家ではパソコンは使わない。また妻や二人の息子(大学1年と高校2年)との関わりを大事にしている。1週間に1~2回程度は家族と一緒に食事をとるし,週末もできるだけ家族と過ごすように努力しているとのこと。息子が小学生のころは,地域のボランティア活動として,少年野球チームのコーチを10年近く務め,息子と一緒に汗を流したとのこと。現在の趣味はテニスと旅行で,特に旅行中に写真を撮るのが楽しみだという。愛妻家で,帰宅時に職場の最寄り駅から家に電話をすることも習慣になっているとのこと。Cさんにとって,コンピュータの仕事は自己実現をめざした経済活動にほかならないが,家庭生活を壊してまでその活動を推進しようとは思わないという。仕事と家庭生活の両方を大事にしており,人間的な魅力と逞しさを感じた。
Cさんの話を聴いて,情報化社会に生きる人々にとって,1)仕事と家庭をはじめとするさまざまなバランス感覚(柔軟性のある行動様式),2)人間関係,対人コミュニケーション能力,3)技術者としての感性,顧客サービスの精神,の啓発が急務であることを改めて痛感した。
 
4 調査結果の考察
今回の調査を通じて感じたのは,最近のコンピュータ技術者たちの労働環境の変化に伴う悩みの深刻化である。かつて,時代の花形産業であったコンピュータ産業も,経済不況の波にさらされ,中小のソフトウエア会社の倒産,IBM神話の崩壊など,これまで経験したことのない危機を迎えている。そうした状況の中で,コンピュータ関連産業や技術者はその資質が問われており,まさに量から質への転換が迫られていると言ってもいいであろう。苛酷な長時間労働を強いられつつも,生活の基盤は安定していた成長期に比べ,不況によるリストラやダウンサイジング,アウトソーシングなどの変革の波に足元が揺さぶられ,将来への不安が強くなってきているなど,悩みはさらに深刻になっていることが,インタビュー調査を通じて,強く感じられた。例えばBさんのケースはそれを物語っており,Bさんをはじめとするコンピュータ労働者にとってまさに“泣きつ面に蜂”というところであろう。
またインタビュー調査を通じて得られた知見を,インタビューした項目別に整理し,情報化社会に生きる人々の現実を検討してみるとおおむね次のようになる。
1)コンピュータとの関わりについて
家でも趣味でパソコン,ファミコンをやっているコンピュータが三度の飯より好きな大と,仕事だから割り切って使っており,できることなら使いたくない,これ以上モデルチェンジしないでほしいなどと感じている人の両者に大別できる。先の事例でいえば,Bさんは前者であり,Aさんは後者ということがいえよう。
2)職場,家庭,学校における人間関係
職場でも,家庭でも,Bさんの妻が夫に対して感じたような,コンピュータや機械と関わっているように感じる,気持ちが通じあえない人間関係,希薄な人間関係が目立つ。また,Aさんのように疎外感,孤立感を感じている人々も多いことが理解できる。
3)日ごろ感じているストレスの程度
苛酷な労働や,職場,取引先,家庭などの人間関係の中で,かなりの緊張を強いられていることが理解できる。極度の疲労やストレスの中で,コンピュータ労働者の職業病などといわれている,胃潰瘍,十二指腸潰瘍,自律神経失調症,心身症,神経症などのさまざまな病理や,出社拒否,遁走,転職などの行動傾向が見受けられる。
4)何か生きがいか(何をしている時が楽しいか/生きがいを感じるか)
仕事,出世,趣味,人との関わり,社会的活動(例,ボランティア)など多岐にわたっている。かつてのBさんのように仕事中毒の会社人間もいれば,Aさんのように,実存的フラストレーションに陥り生きがいを感じられない人もかなり見受けられる。またCさんのように,コンピュータビジネスで自己実現をはかりながら,豊かな余暇活動を楽しんでいる人もいる。
5)コンピュータ,仕事,趣味,アルコールなどへののめり込みの程度
職場や家族の人間関係を阻害するようなのめり込みがかなり見受けられる。中には,Bさんの妻のように,「夫や子どもがファミコンやパソコンにのめり込んで困る」という,休日に1日10時間以上もテレビゲームに没入する40歳台のサラリーマンの妻からの訴えもあった。また職場の仲間に,アルコール依存症で本人やその家族が悩んでいるケースもかなり見受けられるという。
6)生活世界(ライフスタイル)
仕事中心の単調な生活世界に生きる人々と,休みの日に豊かな趣味の世界に生きる人々の両者に大別できるが,その両者のバランスが大切である。
7)人生哲学(人生設計,信条)
AさんやBさんのように,仕事以外のことへの関心が比較的希薄な傾向が見られるが,Cさんのように確固たる人生哲学が確立している人も見受けられる。
8)現在抱えている悩み,不満
仕事,人間関係,生活水準,社会的地位,自己実現などと多岐にわたっているが,中でも深刻化しているのは,AさんやBさんのケースに見られるような先行き不安であろう。今の仕事では自己実現が難しく,今後続けていくには指名解雇やソフトウエア会社の倒産などの先行き不安があり,さりとて(転社はできても)転職するのは難しいというのが,多くのコンピュータ労働者たちのおかれている状況だからである。
9)メンタルヘルス対策
個人的なストレス解消(リフレッシュ)の手段としては,酒,ギャンブル,カラオケ,旅行,スポーツなどがあげられる。また人々の心のよりどころとしては,職場の仲間,家族,友人などとの関わり,これまでの人生経験,宗教などが考えられる。
一方各企業も,さまざまなメンタルヘルス対策に乗り出そうとするなどの努力も多少見受けられるが,本格的な取り組みには至っていないように思われる。メンタルヘルス・カウンセリングや適切なグループワークなどの諸活動を通じて,希薄になりがちな人間関係の回復や,さまざまな悩みを解消し,メンタルヘルスの向上をめざしていくことが肝要であろう。
これまで,Aさん,Bさん,Cさんのケースの検討と,インタビュー調査結果の考察を行ってきたが,問題の克服に当たっては,その社会背景を十分吟味すると共に,カウンセリング,グループワーク,合宿治療4),家族療法など,現代人のあり方を問い直し,対人関係の回復や生活環境の変化をめざすアプローチを模索していくことが極めて重要となろう。先にも述べたが,中でも筆者も関わっているIPRトレイニングは本問題の克服に極めて有効と思われる(小川,1988年)。今後さらに研究を継続していく所存である。
 
5 今後の課題
本調査研究で得られた知見をもとに,今後さらに,情報化社会に生きる人々の人間関係とメンタルヘルスに関する事例研究の継続およびアンケート調査の実施などをめざしていきたい。また,問題の克服に関する方法論的検討,および情報化社会に生きる人々のカウンセリング,IPRトレイニングなどの心理臨床の実践と事例研究もあわせて積み重ねていく所存である。
 
この報告書を書いて以降,企業人の管理者相談,メンタルヘルス・カウンセリングにも携わってきたが,ますます問題が深刻化しているように思われる。そこで次章以降では,相談援助の方法論的課題,相談援助活動の実際,社会問題,家庭児童問題の克服について論じていきたい。
 
〈注〉
1)本研究のような情報化社会の人間関係の病理現象に密着した研究を進めていくには,既存の精神医学,臨床心理学,社会心理学,社会学などの各々独立した学問領域で,それぞれ従来からある固有の方法で対処するだけでは充分でなく,それらを統合した「臨床社会心理学」という新しい学問分野あるいは方法の体系化と独自のパラダイムの確立が要請される。中でもヴァン・デン・ベルクの現象学的精神病理学(1954年)および早坂泰次郎の人間関係学(1991年)などの現象学的アプローチは臨床社会心理学の方法論的基礎としてきわめて有用と思われる(小川,1988年)。
2)8章の注4)参照。
3)日本IPR研究会(早坂泰次郎主宰)が開催する人間関係のトレイニング。Tグループと呼ばれる小グループの話し合いやグループ体験を通じて,スタッフや参加者同士が各自の人間関係やあり方を問い直す合宿形式の体験学習である(早坂,1979年)。
4)例えば,高橋良臣が主宰する大須成学園で実践されている登校拒否児の合宿治療などがある(高橋,1988年)。
 
(文責 産業保健相談員 小川 憲治) 
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